Talking HeadsのDavid ByrneがSpike Lee監督と組んで映画作ったって(そもそもデビッドバーンの映画って、1984年のStop Making Sense以来36年ぶりか?)、そんなイカした作品の話題を聞いてはいたけど、ちゃんと盛岡にも上映館があった。これは行かない訳には行かない。盛岡ピカデリーや盛岡ルミエールは場末感を残した地方らしい映画館だったが、ここ中央映画劇場はシネコン程ではないが、複数の作品を上映する比較的大きな映画館。
想像を遥かに超えたスバラシイ作品!今年No.1と言うより、ライフタイムで上位に入れたい作品。
映像はシンプルだ。デビッドバーンと参加ミュージシャン、そして演奏とダンス。だが、このシンプルなパフォーマンスこそ、今まで見たことのないもの。マーチングバンドを除いて、こんなに自由にすてーを動き回るのは見たことがない。かと言って、マーチングバンドのようなフォーメーションがある訳でなく、ミュージシャン一人ひとりが役を演じるような振舞いは、演劇としか言いようがない。結局、音楽パフォーマンスでもあり演劇でもあり、かつどちらでもない。
さらに、これは子ども向けなのか大人向けなのか(誰でも楽しめるのか、難解で人に考えることを促そうとしてあるのか)、映像記録なのか生ライブなのか、スクリーンに吸い込まれていると、そんなあらゆる垣根が無意味化してくる。
一言で言えば「全て」だ、としか言いようがない。フイルムに焼き付けられているので映画と呼ぶことはできても、これを演劇と考えるか音楽パフォーマンスと考えるかは、お金と愛、どっちが大事?と言うのに似た愚問に思えてくる。
ラストのアカペラに涙が止まらない。矛盾、失望、絶望の音楽芝居(とでも仮に名付けて置こうか)の最後に、それでもとめどなく溢れる希望の歌がミラクル。人種も国も性別も、何もかもを超えた「すべて」、それがこの映画。

ボブディランのように、おとぎ話が現実を乗り越えて、音楽アーティストがノーベル文学賞を獲るような面白いことが起こるなら、次にノーベル文学賞を獲るのはデビッドバーンしかいないとディラン受賞時からずっと思っている。